■500年目のブラジル料理

特別寄稿 山下 一

 本欄の寄稿者・山下一氏(運送会社経営者)は、日系社会に数少ない食味評論家ともいえる存在。ブラジルのみならず、世界各地の料理にも“フィールドワーク”を通じて造詣が深く、その軽妙洒脱な料理評論には高い評価が寄せられている。

■諸民族の食文化が融合した独得の味

 ブラジル料理とはどんな料理かと聞かれても、一口に説明をするのはけっこう難しい。
 料理は生き物で時代の流れの中で、移り変わる客の好みや環境に合わせて変化していく。ブラジル料理も例外ではなく、筆者の知っているこの数十年の間にも大きな変化をしてきた。たしかに地方に行くと、その地域から外にでにくい料理があって、昔ながらの材料、料理法、味が残っていることもあるが、変化もなく生き残ることは難しい。
 なにしろインジオ、イベリア半島、アフリカ、ヨーロッパ、中近東の五者の食文化が複雑に絡み合ってブラジル料理が形作られ、しかも国土が広大なため地域によってそれぞれの影響力に濃淡がある。
 そこでブラジルの中でも最も先進地域であるサンパウロやリオを含む南東部を中心に考えると、代表的なものとして真っ先に頭に浮かぶのはフェジョアーダ、シュラスコ、フェジョン・コン・アロースあたりだろうか。しかし、この中でブラジル人の多くが欠かさず毎日食べているのはフェジョン・コン・アロースだけで、シュラスコとフェジョアーダは、いくら好きな人でもシュラスコを毎日は食べないし、ましてやフェジョアーダに至っては毎週欠かさずという人は数パーセントと見て良いだろう。フェジョン・コン・アロースは日常食でこれにたいていビーフェとか魚や肉のフライ、野菜の煮込みとかが二、三品つくのでヴァラエティに富んでいる。人種の坩堝と言われる国柄だけに、食の習慣も料理法もさまざまで、勢い料理の種類は多くなる。またオリジナルに近い状態の料理は珍しく、雑種交配のように相互に影響しあってブラジル料理となっている。
 例えば豆を煮て食べる習慣は世界各地に古くからあり、民族によっていろいろな調理法があっただろう。ヨーロッパは狩猟民族が多かったので、当然動物の肉や内臓と一緒に煮込む習慣があったはず。アフリカからの黒人達が、主人が見向きもしない家畜の肉のくずを豆と炊き込んで食べていたものが、ひとつのちゃんとした料理として認知されたのがフェジョアーダであり、シュラスコにしても肉を焼く習慣は人類が火を知って以来のもので、それが年月を経てブラジルなりの肉の捌き方、処理方法、焼き方が確立し、現在の形になった言とえる。
 今日のように輸送手段が発達し、遠隔地の食材でも手軽に手に入るようになったのはごく最近であり、僅か数十年前までは身近にある食材にもっぱら頼っていた。塩漬けにしたり乾燥させて保存性を高め輸送が可能なものでも、種類は限られ遠くと言っても冷凍車など無い時代、その範囲は多寡の知れたものである。したがって食事は地方色の濃いのが当然だった。河川の多い地方では川魚が、海岸地方では海の魚介類が、牧畜地帯では牛や豚、羊などが中心となる。

■調理法はサンパウロで発達


 かつてサンパウロ州の道路や鉄道は西へ西へと延びていたが、南北に向けては貧弱であった。そこでサンパウロの肉はサンパウロ州奥地かマットグロッソ州に依存することになる。当時この地域の牧畜はたいへんおくれていて、肉牛の品種改良とか飼料の工夫、屠殺後の肉の処理など全面的にリオ・グランデ・ド・スールの後塵を拝していた。肉は痩せていて固く不味かった。ところがリオはリオ・グランデ・ド・スールとの間に海上輸送が確立しており、南の美味しい肉が豊富に入荷したので、リオに行くなによりの楽しみはシュラスコを食べることであったほどだ。
 食肉を冷蔵熟成させる技術が使われだしたのは、確か70年代に入ってからだと記憶している。また、少し遡って50年代末には欧米から改良種の肉牛を牧場主達が輸入して、サンパウロ州内でも本格的な肉牛の飼育が始まった。
 このような経過があって70年代も後半になるとサンパウロはリオ・グランデ・ド・スール並に美味しいシュラスコが食べられる街になった。そして80年代後半から90年代を通してサンパウロのシュラスコは黄金時代を迎える。多くのシュラスカリアが趣向を凝らして競い合い、これまでのシュラスカリアの概念を覆す、多彩なサーヴィスを提供しはじめたのである。筆者の好みではないがロジジオ方式の店が飛躍的に増え、それらはサラダ・バーの品揃えで種類と量の豊富さを競い、肉だけでなく魚介類から果てはスシまで並べて、店の特徴を打ち出すべくしのぎを削っている始末だ。
 フェジョアーダはバイア料理だが、料理として磨きがかかったのはサンパウロでである。筆者が来伯した頃は旨いことは旨かったものの、現在とは比較にならない粗雑な食べ物であった。材料の下拵えが雑で耳とか皮の部分の毛を残したまま平気で客に出す。戦前の人達は新来の我々を掴まえて「この毛が旨いんだ。これがダメなやつは日本に帰った方が良い」なんておどかして喜んでいたものだった。しかし豚の毛なんてものはブラシにするほどの剛毛だから舌触りがすごく悪い。折角のフェジョアーダの味覚を損なうこと甚だしかったが、さすがに昨今はそんなフェジョアーダを出す店は場末の店ぐらいになった。
 もともとは豆と塩漬け豚肉、干し肉にパイオ(ソーセージの一種)などのゴッタ煮だったフェジョアーダも時の流れのなかで次第に洗練され、塩抜き後も残る脂肪分の癖の強い味と匂いを、何回も煮汁を捨てて抜きながら尻尾とかアバラ肉はよく煮込まれ、舌の上でとろけてそのまま喉にするりと流れ込むほど柔らかく、独特の風味がある牛の干し肉の味と微妙に合わさって一体となり、デリケートで豊艶、かつ胃に負担を感じさせない味の深い料理に脱皮した。そのぶんかつての持ち味であった強烈な野性味は失われて残念だがそれを言うのは欲の張りすぎと言うものだろう。

■クスクスは泥ガニ 地方にも捨てがたい味が


 地方に行くとその地方ならではの味に出会うことがある。そのうちから筆者の好みでいくつか挙げると、たとえばアマゾンのタカカ。これはアマゾンの川エビを塩漬けにして干したものとジャンブーという葉唐辛子と山椒のアイの子のような味の草で風味をつけたスープで、ファリニャ・デ・マンジョーカで作る葛湯状のものと一緒にヒョウタンの一種のクーヤで作った椀に入れすすりこむ。暑いアマゾンの昼下がり、マンガの木陰でピリッと辛みのあるアツアツのタカカをすするのはまさに至福を感じる一瞬である。
 もう一つのアマゾンの珍味に中流のサンタレンで獲れるアビウがある。ごく小さなエビで日本の佃煮にするアミを一回り大きくしたぐらい。9月中旬頃の一週間ぐらい、忽然と現れて後は翌年まで姿を消してしまう。塩辛にしても、炒めても淡くてしかも忘れがたく、後ろ髪を引かれる思いにさせる味である。
 ブラジルの海岸線の南から北までほとんどの河口やマングローブの泥の中にいるカランゲージョという蟹、脂がのっていて実に旨い。海辺の暑い日差しを避けた木陰で、それでも暑いからショートパンツに上半身裸という格好で粗末な造りのテーブルを囲み、木の小槌で固い殻を割ってレモンを搾って夢中になって食べる。小槌でたたいた際に躰に飛び散る殻や身、汁なんのそのである。その際の飲み物はカイピリーニャにかぎる。ビールもダメだしましてやウイスキーなど気取った酒は論外だ。
 アマゾンには川魚の水炊きとかマンジョーカから取るツクピーという調味料を使ったいろいろな料理がある。水炊きには何種類もの香草を入れるが、ツクピーとか香草類を多用するのはインジオの影響である。一般的にアマゾンの味は現地でたまに食べれば美味しいが、何食も続けて食べる気にはならない。都会にでてきて洗練されて、一流の料理になる可能性はきわめて低いと言える。インジオの食文化の原始性ゆえか。
 北東伯の海岸地方では、おなじ魚料理でも使用する調味料はガラッと違ってくる。デンデ椰子油やココナツミルクが多用される。またピメンタと呼ばれる唐辛子やコエントロをよく使い、イベリア半島とアフリカが混在している料理である。ヴァタパ、ムケカ、フェジョアーダ、アカラジェ、カスキニャ・デ・シリ等が有名だが、フェジョアーダ以外はいずれもデンデ椰子の油とココナツミルクをたっぷり使っているのが特徴。アマゾン料理とは違って材料から出る味が複雑に作用しあった、まろやかで豊かな味が特徴で大都会でも人気のある料理に進化している。アフリカの黒人文化には食に関して一種の天性がある。フランス料理にもクスクスなどアフリカ発がいくつもあるし、ブラジルでも黒人が関わる料理は美味しいのが多い。

■旨い料理堪能できる国


 ミナス州はミナス料理という一つの様式が固まっているところだが、ここの料理はイベリア半島、アフリカの影響が4対4ぐらいで残りの2がインジオ。美味だが味が濃く重い料理が多い。
 インジオ系で最もポピュラーな食材がブラジル全域で使われるファリニャ・デ・マンジョーカ。インジオの影響が強く残っている地方ほど、美味しいファリニャがあるし使用量も多い。サンパウロから南の地方では味も落ちるし限られた料理にしか使われないがシュラスコやフェジョアーダには欠かせない。
 アフリカ系の影響が強いのは東北ブラジルの海岸部からミナス、リオあたり。サンパウロから南の料理に一番大きな影響力を持っているのは、イタリアがダントツでアラブ系も隠然たる勢力がある。多民族の国家なのでドイツ、フランス、東欧等のヨーロッパ系の影響もそれなりのものがある。
 日本の影響も最近は大きくなったが、最近はアメリカの影響が馬鹿にならない。おもしろいことは日本とアメリカの影響力は微妙に絡みあっていることだ。つまり日本料理がこれほど爆発的にブラジル人社会に浸透してきたのは、ひとえにブラジル人のアメリカ文化志向が原因だからである。中流階級で高学歴の連中がアメリカのヤッピー文化の影響を受けて、異常なまでの健康志向ブームが起き、日本食こそ健康食と盲信したことに端を発している。だから最近のブラジルの日本食はアメリカというフィルターを通ってきた変形和食と言える。
 主としてサンパウロ、すぐ後に続く形でリオを中心としてこのように料理の変化が激しいが、その他の地方の都市でも最近大企業が盛んに進出し、それにともなって大型ホテルが開業、人の往来が活発になるにつれてレストランの開業が目立ち、イタリア料理やフランス料理とか無国籍のコンテンポラニー料理など各種料理が競っている。たいていの場合その地方ではこれまで見たこともない豪華さとか、洒落た雰囲気でその地元の名士達を惹きつけ、一種のステータスシンボルとなる。そうなればごく自然に中流階級も通うようになり、瞬く間に食生活の激変に襲われる。情報がグローバル化している今日ブラジルもアジアやアフリカ発のエスニック料理の波に洗われる日が近いのではないだろうか。
 ともあれブラジルはこの地球上で美味しい料理にありつける、貴重な国の一つであることは間違いない。