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■ジュート栽培に成功−アマゾン流域の主産業に
11月2日(金)
アマゾンで何を主要生産物にするか。生産が容易で需要が大きく、短期に資金の回収ができる作物としてジュートを選んだ。辻小太郎はインド低湿地地帯におけるジュート栽培を研究した結果、アマゾン地域の低湿地地帯もジュート栽培に有利であると考え、上塚司はこの計画を採用した。インドから種子を取り寄せ、サンパウロで現地種を集めて調査団を組織する時に持参し、鹿児島高等農林学校出身の荒木衛門に試作を命じた。
ュートをアマゾナス州の気候に適応させることを目的としてアマゾニア産業研究所を設立、気象台、農事部(試験場)と実業練習所を併設し、高拓生の現地での訓練所とした。ジュートの試作は農事部で東京農大出身の佐藤信一、木内謙一、鹿野勇、荒木衛門らによって、日本から持参したジュートの種子、サンパウロで入手したパウリスタ種を試作したが草丈が一メートル位にしか伸びなくて失敗。一九三一年十一月にリオ大使館野田良治一等書記官を通じて入手した四種類のインド産の種子を播種したが丈は一・五メートル以上にはならなかった。
この頃上塚司は日本高等拓植学校の講師、木野逸作をインドに派遣、ジュート産地を視察させて栽培、耕作、加工について研究させた。一九三三年四月、辻小太郎が現地アマゾニア産業研究所所長としてビラ・アマゾニアに着任、支流三十二キロ上流のアンジラに建設、農事部のジュートの試作をアンジラ模範植民地のバルゼア(低湿地帯)に移した。
この年の十一月入植した第一回家族移民五十二人の中に、岡山県出身の尾山良太氏とその家族六人がいた(長男万馬氏は高拓二回生)。尾山のバルゼアで、丈が他より高く、枝が出ていないジュート優良種二本を発見した。一本は増水で倒れて水に流されてしまったが、もう一本の茎に付いた十粒の実を採取する。一九三七年には約十トンのジュート繊維が尾山良太らの手で作られた。ジュートはその後長年にわたりアマゾン川流域の主要な産物となった。
参考文献『緑 西部アマゾン日本人移住七十周年記念誌』、高拓生五十周年記念式典プログラム、野口敬子「アマゾンにジュート産業を興した若者たち」
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