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特派員エッセー

ニッケイ新聞 2008年

第二回【もっと伝える努力を】
小寺以作 読売新聞リオ・デ・ジャネイロ支局長(34、大阪府出身。07年11月着任)

 四月下旬、サンパウロで、ブラジル・ジャーナリスト連盟から表彰を受けた。ブラジルの文化や習慣を日本に報道することで、伯日交流の橋渡しをした功績を称えて、ということだった。
 ブラジルに拠点を置くすべての報道機関が対象だったが、それでも私の名前が入った案内を頂いたときには思わず、首をかしげた。ブラジルに来て半年。そんなにこの国の話題を取り上げただろうか。
 恐る恐る過去の記事を検索してみると、わずか十六本。月平均約二・七本。あまりのお粗末ぶりに赤面するしかなかった。
 ここ数年、「BRICs」という造語が流行っている。経済成長の著しいブラジル、ロシア、インド、中国の四カ国をひとくくりにした言葉で、日本の書店では、関連の投資本がびっしりと並んでいる。それなのに全国紙では、ブラジルが話題に上る機会は少ない。
 なぜか。様々な理由が思いつく。一人で二、三十カ国を担当する新聞社の体制、記者個人の能力や努力不足…。だが、最大の要因はやはり、両国を隔てる距離ではないか。あまりにも遠すぎて、新聞社の人間も、読者もイメージがわかないのではないか。そんな気がしてならない。
 私を含め、多くの特派員が百周年こそ、両国の心の距離を縮める千載一遇のチャンスだと信じている。日ごろは、ブラジル国内を回る機会の少ない特派員が、サントス、クリチーバとゆかりの地を飛び回っている。私もイタペセリカ・ダ・セーラやトメアスなどの入植地を訪れ、四月二十七日から五回の連載にまとめた。
 マラリアで家族を何人も失った人、コショウ栽培で莫大な財を築いた人、他人にだまされ、財も地位も失った人、子孫に日本語を残すために学校作りに奔走した人…。
 一口に百周年とは言っても、日系人口は百五十万人。実に様々な思いが交錯していた。ただ、共通しているのは、自分や祖先の歩みを、そして日系社会が抱える問題や不安を日本に伝えて欲しいという熱い思いだった。
 がっかりさせられたこともある。一月にある日系団体が主催するイベントを事前取材したときのこと。事務所を訪れると、開口一番、「来るのが遅いですよ」と嫌みを言われた。開催まで二週間を切っていたこともあり、告知記事を書くには確かに遅すぎた。申し訳なく思う。
 だが、その団体の幹部は、報道機関に情報を提供するでも、協力を呼びかけるでもなく、ただ、参加者が集まらないことを嘆くばかり。
 百周年は誰もが注目する大きな節目、自分たちは一生懸命、行事を盛り上げようと頑張っている。周囲は協力してくれるだろう。メディアも取り上げてくれるだろう。そうした意識を感じた。
 あるいは、イベント開催に不慣れで、メディアの上手な利用法が分からなかっただけかもしれない。それでも、主催者側が多くの人々に知らせたいという意識を強く持たない限り、日系人の思いや移民の歴史、百周年の意義は海を隔てた日本にまでは届かない。
 ジャーナリスト連盟の表彰式では、記念の盾を頂いた。現在、事務所の棚の一番目立つところに飾っている。盾を見ていると、「もっと、ブラジルの記事を書きなさい」と叱咤されている気がする。六月には、皇太子を招いての式典があり、それ以後も日伯友好の記念行事が続く。日系団体や大使館職員、そして、一人一人の日系人と「伝えたい」という思いを共有し、一本でも多くの記事を日本の読者に届けることができればと願っている。

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ニッケイ新聞は、ブラジル国サンパウロ州サンパウロ市で発行されている、移住者や日系人・駐在員向けの日本語新聞です。


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