特派員エッセー
ニッケイ新聞 2008年5月7日付け
第一回【コロニアがくれた視点】
石田博士 朝日新聞サンパウロ支局長(37、岡山県出身、05年9月着任)
笠戸丸出港から百年の節目となった四月二十八日、朝日新聞は一面でその事実を紹介し、さらに一ページをブラジル移民特集にあてた。
この取材の一環で、サンパウロ州フランカを訪れた。約七十五年前に移住した南原勇男、千代喜さん一家の話を聞いた。コーヒー農園での厳しい仕事を「明治の根性で頑張った」と話された。とても興味深いお話で、取材時間が限られているのが惜しいと思った。
帰りのバスに乗る頃には日が暮れていた。黒々と広がるサトウキビ畑の上に広がる夜空をバスの車窓から見上げながら「ああ、あのころと同じような光景だ。俺はあのころと同じ道を走っている」と思った。
私がブラジルに初めて来たのは今から十六年前の九二年だ。日本ブラジル交流協会の研修生として、サンベルナルド・ド・カンポ市役所と日伯毎日新聞(現ニッケイ新聞)で研修した。サンパウロ学生会が建てたアルモニア学生寮に住んだ。
寮長の渡辺次雄先生、奥様のエリザベッチさんは礼儀に厳しかった。
「きちんとあいさつしなさい」「部屋を掃除しなさい」「服装が乱れている」
到着当初、毎日のように怒られ、「あんたは日本人じゃない」「それじゃ土人だ」といわれた。
当時二十一歳の私は、エリザベッチさんの言葉に内心反発した。
日本で生まれた自分が「日本人じゃない」ってどういうことだ? ブラジルで生まれたおばさんに何で「日本人」うんぬんと怒られないといけないのか?
だがそんな思いも、コロニアのあるサンパウロ近郊のいろいろな町を訪れるうちに消えていた。
地球の反対側の地で、営々と日本人として生きる環境を積み上げてきた先達の苦労を思った。エリザベッチさんを「日本人として生きろ」と育てたお父さんたちの気持ちも、分かったような気がした。
そんな思いでバスの中から見上げるのは、いつも同じような夜空だった。
一年の研修を終えて日本に戻り、翌年、朝日新聞に入社した。今もエリザベッチさんの厳しくも愛のあふれた言葉を思い出す。
そして今もなお、「日本人とは何か?」が私の心をとらえて離さない。
何が人を「日本人」とするのか? 言葉か? 礼儀か? 顔立ちか?
なぜ優しく礼儀正しいはずの日本人が、ブラジルから来た日系人を差別するのか? 「日本人でなければ人にあらず」なのか? では今の日本に暮らす人々は、本当に「日本人」なのか?
日本社会を射抜く視点の一つのヒントを、私はコロニアにいただいた。
そんな私が、笠戸丸から百年の今年、特派員としてブラジルにいられる幸運に感謝したい。
移民のみなさんのご苦労やその子どもたちの百年を描くには、いくら勉強しても足りず、いくら取材しても足りない、といささか絶望的な気持ちにもなる。だからといって、原稿を書くのを躊躇するならば、日本に伝わるブラジルの情報が減る。私が見て聞いて感じたブラジルを精いっぱい祖国に伝えたい。
それが、今の日本に暮らす人々にとって「日本人とは何か」を問い直す一つのきっかけになってくれれば、と願う。