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■海を渡ったサムライたち―日伯セレソン物語(15)―三都主アレサンドロ−3−左足で道切り開く−ブラジルとの対戦望む父

6月18日(火)

その左足が人生を大きく変えた。
 一九九三年八月、マリンガ市の地元グレミオ・マリンガの下部組織の練習試合。夏休みを利用して同市を訪れていた明徳義塾サッカー部監督(当時)の北村保夫は、ドリブルがうまく、足の速い一人の少年のプレーに注目していた。
 ブラジルサッカーに心酔していた北村は、自分のチームでもブラジル色を出そうと、留学生を求めて前年から視察を始めていた。
 パルメイラスやコリンチャンスなどは、二万ドル近い移籍金を必要とするため、トッパン市やマリリア市など地方都市を中心に選手を見て回っていた。
 そんな彼の目を引いたのが、十六歳になったばかりのアレサンドロだった。
 特に光ったのが、左足で
蹴るコーナーキックだ。元々、日系人を求めていた北村だったが、アレサンドロの左足のキックに魅力を感じ、その日の夜、滞在中のホテルに彼を呼んだ。
 「直立不動で、しっかり私の目を見つめて話を聞く姿が印象的でしたよ」
 ブラジルと違い、文武両道が求められる日本の高校では、生活態度も重視される。「この子なら大丈夫だ」と北村は確信していた。
 その年五月には、Jリーグも始まっていた。
 「プロも目指せるぞ」
 北村の誘いは、十六歳の少年の心を揺さぶった。
  ×  ×  ×
 「そばから離れたことがない息子が、一番遠い国に行ってしまうのよ。その悲しさは説明できないわ」
 マリアは大反対だった。
 しかし、日本で活躍し親孝行をしたいという彼の決意と北村の説得で、泣く泣く申し出を受け入れた。
 帰化同様、ウイルソンは息子の決断を尊重した。
 「朝、靴を履いた時からずっと私に付いてきた子だよ。その寂しさは誰にも分からないよ」と言いながらも、愛息の成長を願った。
 クラブには移籍金、両親には支度金としてそれぞれ千ドルが支払われた。
 高知市から車で一時間の山奥で、全寮制の生活が始まった。
 「最初は適応するのに苦労した。食事や言葉が全然、違っていたから」と三都主は当時を振り返る。
 食事や授業で特別扱いを受けなかったが、陽気なアレサンドロはすぐに、異国での暮らしに慣れていった。「帰りたいと言ってきたことは一度もなかった」と北村がいうように、アレサンドロも両親もじっと、寂しさを我慢していた。
 練習が禁止された試験期間中に、寮を抜け出し、得意の左足でもくもくとフリーキックの練習をする姿を北村はしばしば目撃していた。
 九四年アメリカ大会準々決勝オランダ戦で、母国を救ったブランコのフリーキックに影響を受けていたことがその理由だ。
 今年四月十七日、代表初ゴールは、左足でのペナルティーキックだった。
 その原点はブラジルだ。
  ×  ×  ×
 三年間で高校選手権への出場は叶わなかったが、遠征先の静岡県でアレサンドロのプレーを見ていた、清水エスパルスの関係者の誘いで、プロテストを受け合格。九七年から念願のプロの世界に飛び込み、九九年には史上最年少の二十二歳でMVPを獲得した。高級マンションと、グラウンド付きのシャカラを故郷の両親に贈ることも出来た。
 「あの子は日本に育ててもらったんだよ」というウイルソン。今でも三都主への指導は続いている。
 三都主の出た試合は必ず、ビデオで取り寄せ電話でアドバイスを送る。
 現役時代、自分と対峙する右サイドで活躍した父ならではの指摘を、今でも三都主は大切にしている。
 「長所も短所も知り尽くしているよ。でもW杯前だから言えないよ」
 「王国」でサッカーの厳しさを知ったウイルソンならではの親心は健在だ。
 三都主に招待され、現在日本で、息子の晴れ舞台を見守る両親は、母国ブラジルとの対戦を待ちわびる。 両チームが顔を合わせる次の舞台は六月二十六日、埼玉での準決勝だ。
 かつてセレソンを目指した父は、複雑な顔を見せながらもきっぱり言う。
 「日本に勝って欲しい。その中にブラジル人の血を持つ自分の息子がいることが私の大きな誇りなんだ」
   =敬称略=終わり
    (下薗昌記記者)


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