自然保護と人間の未来について(1) 南米アマゾンで鑑賞魚の採集を正業にしていて、その反対の位置にある自然保護の問題を論ずる、という矛盾を感じながら、今回も飛行機で飛んでいるアマゾン上空からの景色を眺めていている。 各地の自然状況変化を長期にわたって観察していると、今後地球がどのようになっていくのか、という命題を突き付けられているような錯覚にとらわれている。 最近は、ワシントン条約(ワシントンで採択された絶滅寸前動植物保護国際法)のことや、それに追随する自然保護問題が世界で頻繁に取り上げられるようになった。 例えば、アフリカに生息しているゴリラやチンパンジーなどは、このまま放っておいたら、近いうちに人類に食べ尽くされてしまう、とか、アフリカ象が増え過ぎ、許可が出て多数の間引き屠殺が実行された、とか、普通の感覚では考えられないような報道が新聞やテレビニュースで報道されている。 アフリカに住む先住民には、類人猿を珍味として食べる習慣があるそうだし、中華料理でも猿の脳ミソが珍重されるそうな。特に奇異な話ではないのかもしれない。残り少なくなった類人猿を食べたり、象を殺したり、という行為に対して、本当にそれで良いのだろうかと考えたりしている。 昨年八月の話、マナウスを訪れた帰り、帰りの飛行機がタパジョス川からクィアバ市を結ぶラインを飛行していた。退屈な機内の窓から夕暮れの下界を見ていたら、テーレスピーレス川(タパジョス川上流)からマットグロッソのアルト・フロレスタ市の上空、地理的にはパラ州とマット・グロッソ州境近辺だった。下界が燃えていた。 燃えていた、といってもそれは中途半端な規模でないことは、筆者にはしっかり分かっていた。その規模を説明すると、日本で東京〜大阪のフライトで、羽田を離陸した飛行機が伊豆半島上空では一万メートルくらいまで上昇するが、静岡上空あたりで下界の日本列島を見ると、天気のよい日には遥か彼方に、日本海あたりまで見える。 読者諸兄の中にも、そういう景色を見た人もおられると思う。このマナウスからの飛行機から見えた火事は、遥かかなたまで一直線に火の線が走っていたのだ。 ということは、規模にしたら日本列島を縦断しているような規模の火事だった、ということが想像できる。恐らく、その野火のラインは延長距離三百キロ以上に及んでいただろうと確信している。 ブラジルでは、このような火事は毎年のようにあることなので、ニュースにもならない。 この下界に展開している火事で、何億本の植物が、何億匹の動物が、燃えて灰になっている。自然保護活動と現実に起こっているこの事実を見てしまうと、非常に大きな矛盾を感じてしまうのだ。どう説明するればよいのか、このような現象の連続で実際に自然は確実に衰退荒廃していっている。つづく (松栄孝)