十八年ぶりのブラジルである。ひと月とちょっと経った。違和感はない。サンパウロ市内、リベルダーデ界隈の雑踏はあいかわらずで、抵抗なく身をおいた。が、ひとつだけ違っているものがある。
車の種類の豊富なことだ。しかも新しい。あれほど圧倒的だったフスカも二台ほど見かけた程度。取っ払った助手席側からもぐりこむようにして中に入り、薄汚れた座席に尻を沈めると同時に紐をたぐってドアを閉めてくれる、あの古ぼけたタクシーはどこへ消えてしまったか。いまどき博物館にでも行かないとお目にかかれないのかもしれない。
高性能の最新車が増えたせいだろう、こころもち大気汚染が改善された観がある(じつは最悪を覚悟してきた)。車による騒音もおなじ理由でうれしい誤算だった。
さて、派遣先はブラジル日本移民史料館である。こちらは逆に様変わりしている。古巣だからといって、昔とったナントカというわけにはいかない。戸惑うことがいくつもある。まず、当時の職員はひとりもいない。共通語はポルトガル語だ。
以前は日語にポ語が混じっていた。今はポ語に日語が混じって完全に逆転している。三階にある収蔵庫、事務所の配置も一変した。館長室や会議室は史料に埋まって事務所のスペースが半減しているが、それだけ史料が集まったということで嘆く筋合いではない。むしろたいへん喜ばしい。
展示室の変化はもっと大きい。七階入口にあった「名物」の電気ウナギがいなくなった。入館者はいきなりの異形にドギモを抜かれたものだ。八階の特別展示室とマルチスクリーン室も収蔵庫と化し、錦鯉と牛車などがあった屋上取りこわされて、かわりに九階展示室が増設された(特展室の東郷青児の絵を移設)。
着伯早々、県連主催の「日本祭り」があった。十万人を超えるにぎわいだった。文協も広いスペースが与えられていたが、見れば史料館の展示がコーナーのほとんどを占める。今後もコロニアの「看板」として史料館の存在は、ますますふくらんでいくだろう。
その史料館に、夏休みの日本から来訪者が相次いでいる。貴重な移民史料をもとめてはるばる研究者がやってくるのだ。
ところが、である。せっかく本なり新聞なり文書なりを手にしてもコピーができない。コピー機がないからだ。日本の人にはそのことが理解できない。事務所にそれがない以上に奇異に映るらしい(私もそのひとりだが)。
ただし、事実は正確ではない。モノはちゃんと「有る」。古すぎて機能しないだけ。長い間使っているうちに自動的にというか、いながらにして史料館の収蔵物になってしまった。「フスカ状態」なのである。
すみませんが、と通りのコピー屋さんでやってもらっている。不便このうえない。これによってどれだけ史料が傷んでいるかも定かではない…。
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【職種】史料館学芸員
【出身地】山梨県甲府市
【年齢】58歳
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