「だいじょうぶ、何とかなる!」これは今、私が一番好きな言葉。
ブラジルに来てそろそろ一年が経とうとしている。周囲の協力を得て万事順風満帆に進んで来ることが出来た私であるが、着任十カ月目に入ったとき、学校経営の問題でちょっとした壁にぶち当たった。
それを文協の学務担当のUさんに伝えた所、その方は「まぁ、土壇場になれば、何とかなるもんですから」と穏やかにおっしゃった。
解決に向けての迅速な対応を期待していた私は、その言葉を聞いたとき正直、なにか物足りなさを感じ「この非常時になんと呑気なんだろう」と思った。
そして、その事を同じ地区で活動するシニアボランティアの先生に相談した。すると「Uさんの「土壇場で何とかなる」という言葉を私は理解出来ます。Uさんは、そうやってこの過酷なブラジルで生きてこられたのです」という返事が返ってきた。
私はその言葉にはっとした。そして自分を恥じた。考えてみれば、何も知らずにひょっこり日本からやって来た私のような一青年が「あれをやりましょう!」「これはどうでしょう?」と提案した時、上手く事が進んできたのは、私の力量でも何でも無く、同僚の先生や、生徒の父兄、そしてUさんを始めとする文協の理解ある方々が私に協力して「何とかしてくれていた」からなのだ。
そして、その約一カ月後、今度は本物の壁にぶち当たった。今までイケイケでやってきた私にとって、この件は相当応え、落ち込んだ。そこには「前に進まなければ」という焦りもあったと思う。
その件についての重苦しい会議の後、沈む私を前に、生徒のお父さん、お母さん達は私の手を握り、真っ直ぐ目を見て言ってくださった。「だいじょうぶよ、先生。何とかなるから!」「そうよ、絶対上手く行くから!」「先生は心配しなくても良いのよ、何とかなるんだから!」と。
私は皆の優しさ、暖かさ、大きさに包まれ、今までコチコチに固まっていた全身の力が抜けていくのを感じた。
「何とかなる!」この言葉がこんなにも力強く私の胸に響いたのは初めてだった。
これは、まさしく異国の地で過酷な状況の中を生き抜いてき日本人だからこそ言える言葉。無責任に傍観するという意味ではなく、前向きに今ある状況と向き合う、という意味で発せられる言葉。一世のUさんに留まらず、生徒のお父さん、お母さん達、つまり二世、三世の世代にも、その精神は綿々と受け継がれているのだ。
私もいつか、あんな風に力強く地に足をつけて「だいじょうぶ、何とかなる!」と自然に言えるような、そんな人間になりたい。
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【職種】日本語教師
【出身地】三重県伊勢市
【年齢】33歳 |