私がブラジルに来て、一番困ったこと。それは言葉や文化の違いではなく、習慣のちがいだった。躾の違いと言ってもいいかもしれない。それは一年経った今も、私の前に大きな壁となって立ちはだかっている。
私は大雑把な性格で、あまり物事を気にしない。それが人事となると、なおさら気にもとめない。けれど今、子供達と過ごす中で、見てみぬ振りができないことがたくさんある。
まず、「モノを大切にしない」ところだ。それが自分の物だろうと、学校の物だろうと関係ないのだ。私の目を盗んでは、物を投げることも頻繁だし、大抵の物は手荒く扱う。「こんな物、壊れるはずがないのに…」と、思う物まで壊す。
例えば、空気入れやドアのカギ。確かに日本のものに比べ、ブラジルの物が壊れやすいと言う事は一理あると思う。でも、それにしても「物を大切にする」という意識が感じられない。
ある日、机の上に、無残にも穴あけパンチで、ぼこぼこに穴が空けられた、プラスチックの定規が置いてあった。「どうしてこんなことをするの?」という私の問いかけに、一言「おもしろい」と答えた生徒。私はこの言葉に切れた。
「こんなことをすると二度と使えない!どうするの!」と、くどくどと説教をした。その翌日、机の上にセロハンテープで補正された、定規が置いてあった。少しは分かってくれたのかなと、ほっとした一瞬である。
それから「すぐ人のせいにする」のも、目に付く。何かを見て「誰がやったの?」とすぐ発してしまう私も悪いとは思う。けれど「○○がやった」「○○もやった…」。言い訳が永遠と続くから、私も叱る言葉にさらに力が入る。
「誰がやったかは問題じゃない。どうしてそれをそのままにしているのか、どうして止めなかったのか」。それでも、「自分じゃない」と言い張るから、「やってもやらなくても、黙って見てたら一緒なの!」。ここまで言うと、生徒には、私が何を言っているのか分からないようだ。
「自分はやっていない。見ていただけなのに先生は怒る。なんで…?わけがわからない」おそらく生徒の頭の中は、こんな具合だろう。
私だって、子どもの頃はそんなこと理解できなかった。でも今は分かる。だから子どもにも同じようにしているつもりだ。「駄目な事は駄目だ」と。それが、国が違っても、習慣が違っても同じでいいのか。と疑問に思われるかも知れない。もちろん私だって迷う事もある。
実は、ろくに経験もなく、日本から来ただけで教弁をとっている私が、どうしてこうも強気でいられるのかというと、理由があるのだ。それは背中を押してくれた人たちがいること。 一人は、去年まで一緒に日本語学校をしていた先生。彼はブラジルで生まれ、日本で中・高を卒業し、現在ブラジルの大学生だ。その彼がいつも言ってくれた。「先生が悪いと思ったことだったら、叱っていいんです」と。
そして、もう一人は生徒のお父さん。立ち話の中で、こんなことを言っていた。「あなた達日本人は、日本で教育を受けた事に感謝しなければならない。何も苦労せずに、道徳心が身についているのだから」と。
その二人の言葉が、今の私の背中を押してくれている。日本と同じようにするつもりも、そうできるとも思っていない。私はただ、「先生はそれを正しいと思わない」そういう態度をもって、正直に生徒と向き合いたいと思っているのだ。
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【職種】日本語教師
【出身地】鹿児島県鹿児島市
【年齢】23歳 |