青年ボランティアとしてブラジルに来る前、日本で出稼ぎ子弟と深く関わっていた私。親に連れられ、海を越えてやってきた子ども達は、皆生命力に溢れ、明るく、とても魅力的だった。
やれ国際化だ、多文化だ、と騒がれるこの時代に「この子達こそがこれからの時代を担っていく子ども達だ」と強く感じ、彼らが周りに流されないで、力強く生きる力を付けて欲しいという想いでサポートに当たった。
しかし、南米からの日系人が増加する一方で、日本ではこれらの人々を一市民として、又は一県民として受け入れる体制が整っている自治体はまだまだ少ない。
私が出会った日系の子ども達の殆どが来日するまで日本語に触れたことはなかった。そして日本の学校で「ブラジルから来た○○君」という扱いを受け、本来自分のルーツである日本に居ながら、自分の中に流れる「日本人の血」に気付かず過ごしている彼らを見て、本当に寂しく、勿体無く感じた。
また、子どものみならず、私が出会った多くの日系人達は「日系人」であるが故に今日本に居るのにもかかわらず、仕事に追われ、自分のルーツについて考える余裕など無いように見えた。
そんな折、ブラジルには今も根強く日系コミュニティーが存在しており、日本語教育にも力が入っている、という話を聞き、日本のブラジルコミュニティーとブラジルの日系社会との繋がりをこの目で見て確かめたい、という願望がふつふつ沸いてきた。
そして念願のブラジル日系社会に来た訳だが、そこに居る人々は人情厚く、真心で私を受け入れてくれた。私はその有り難い気持ちに日々心打たれている。 私が派遣されたピエダーデ市はサンパウロから百キロ程離れた田舎町だが、日系人が運営する文化体育協会はなお健在で、日本語学校も生徒の減少に悩まされてはいるが、教育熱心な父兄達にしっかり支えられている。私はこの前向きな輪の中に入り、微力ながらも活動が出来る事に誇りを感じている。
私は、JICA青年がブラジル全土に散らばっているという事もあり他の学校の先生方とお会いして学校の様子などを拝聴する機会も多くあるが、どの学校でも様々な問題にぶち当たりながら、より良いカリキュラム、授業作りを目指して奮闘している。
随分近くなったブラジルと日本。こんな時代だからこそ、ブラジルの日本語教育が益々活気付き、一人でも学習者が増えて欲しい、そして、自分のルーツに誇りを持ってブラジルー日本間を股にかける人々がもっともっと増えてくれる事を心から願うこのごろである。
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【職種】日本語教師
【出身地】三重県伊勢市
【年齢】33歳 |