証言収集、という項目が業務のひとつとして挙げられているおかげで、実にたくさんの方々と話をする機会がある。テーマを絞ったり、おおざっぱに話してもらったり、いろんなインタヴューを試みてきたが、どなたから伺っても興味をひかれる話題がある。
第二次世界大戦中(言い慣れた「太平洋戦争」ではやはりしっくりこない)、あるいはその後何年間かの経験である。ブラジル日本移民にもさまざまな戦争体験があったのだと今更ながら知りつつあるところだ。 インタヴューは難しく、いつも満足のいくものにはならないけれども、やはり直接話を聞くのは大切だと感じる。その語られ方から何かが伝わってくるときなどとくにそうだ。
九十歳を越えた男性に敗戦を知ったときの感想を聞いたことがあった。「空虚」という言葉が返ってきた。時間をおいて同じ質問をまた違う言葉で尋ねると、しばらく沈黙があって、搾り出すようにして発せられた言葉は、またしても「空虚」だった。
私はいたずらにこの質問を繰り返したわけではない。なんとかコロニアの「敗戦」を直観的に理解できないものかとここのところずっと感じていて、この日のやりとりのなかで、この男性なら私の知りたいことに的確に答えて下さるような予感があったからだ。 何の工夫もない簡素な問いかけだったが、その方も私の気持ちを察し期待に答えようとしてくれていたように思う。だからさらに食い下がり、もう一度尋ねてみた。
二度目の「空虚」にたどりつく前、男性が別の表現に達する寸前まで行ったようにもみえた。たった一言で何かをつかめるかも知れない、そんな一言が出てくるような気がして、それをどうしても聞いておきたかった。
しかし男性は、再び微妙な表情を浮かべて黙り込むと、もどかしそうで、でもとうとう諦め、言葉を見つけられず申し訳ないとでもいうようなため息まじりに「空虚でしたねえ」と言った。言葉になるまで十数秒間の、空気の張りつめようが印象に残った。
言葉としては、結局「空虚」というたった一言に尽きたわけだが、あの場の雰囲気全体から感じて、得られたものは貴重だったと思う。
他人の体験してきたことを、そう簡単にわかった気になってはいけないと自戒しながらも、おかげで、コロニアにいて「敗戦」を味わった人の心情に少しは近づけたようなつもりでいる。この先続けていく証言収集にも、多少違いが出てくるだろう。
それにしても、これまであれほど空虚に響いた「空虚」を聞いたことがない。
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【職種】史料館学芸員
【出身地】高知県高知市
【年齢】40歳 |