■灼熱の大地で=移民のふるさと巡り同行記=終=過酷な体験談に涙=再会期して旅終える
10月15日(火)
「移民は苦しいものです。ここで亡くなった人たちの屍を越えて来たから、今日の私たちがあるのです」
旅も終わりに近づいた六日午後、JK植民地を訪れた一行は、先没者の霊を慰める「慰霊の礼拝」に参加。植民地を代表して挨拶した佐々木三雄さん(八七)の言葉に、改めて移民の苦労や努力を噛み締めた。
サルバドール市内から北に約七十キロ離れたJK植民地は、連邦政府と州政府が共営し、一九五九年一月に創設。当時のジュセリーノ・クビチェック大統領のイニシャルを冠し、JK植民地と名付けられた。
バイア州とサルバドール市に生鮮野菜を供給するのが目的で、日本からは六二年までに百八家族、ドミニカ共和国などからの再移住者を加えると百四十七家族が入植したという。
しかし、道路条件や耕作に不向きな土地などを理由に、初期の五年間で約五十家族が州内各地や南伯方面に転耕。現在は約四十家族がトマトやキュウリ、ピーマンなどを生産している。
「ものすごい苦労があったんだろうねえ」
美しい緑に包まれた一帯を見ながら、菊池栄さんは自らの過去に重ねるように呟いた。五七年にコチア青年で来伯した菊池さんは、ジュンジアイ市内で花栽培一筋に生きてきた。二回目の参加となる「ふるさと巡り」の楽しみは、何より移住地訪問だという。
「色々な移住地で出会う人から話を聞くと、改めて自分の立場を振り返るきっかけになる」と菊池さん。
礼拝の冒頭、JK植民地日伯文化協会の山口延利会長が「過疎化の進む中、日本とのつながりを大切にしたいと努力しています」と遠路駆け付けた一行に感謝の言葉を述べた。
一分間の黙祷の後、石塚恵司牧師(五一)が聖書の言葉を朗読した。
同植民地で最年長の佐々木さんは、日本の役人が飛行機で視察しただけの、同植民地に移住したのは、大きな冒険だったと当時の心情を説明。過酷な条件の下、開墾や栽培に従事しながら、亡くなった仲間については「美しい富士山やおいしい湧き水を夢見ながら、ブラジルの赤土になっていった」と涙声で訴えた。
焼香を上げる一行の中には、来伯わずか三カ月足らずの男性がいた。
国際協力事業団(JICA)のシニアボランティアとして、こどものそので陶芸などを指導する小宮山勝さん(六四)だ。日系社会の原点を知るきっかけにしたいと、休暇を利用して参加した小見山さんは、この旅が自らを見つめ直す場になったと笑顔を見せる。「昔の日系人の苦労を思えば、自分の悩みは取るに足りないと分かりました」と吹っ切れた様子。
礼拝後の交流会では、わずか二時間の時間を惜しむように、あちらこちらに談笑の輪が広がっていた。
六日夜、滞在するホテルで最後の夕食を楽しんだ一行は、最終日の七日朝にホテルのロビーで解散式を開いた。
一行を代表して「ふるさと巡り」の常連、多川富貴子さん(六六)が挨拶。「どの移住地に暮らす人も、目が輝いていた。町で暮らす私たちも生きることの素晴らしさを再認識させてもらった」と旅を振り返ると大きな拍手が沸いた。
その後、サルバドール市内のサンフランシスコ教会やペロウリーニョ広場などを観光した一行は、夜にコンゴーニャス空港に到着。
「また次、会おうね」「お互い元気でね」と言葉を交わしながら、一週間に渡った旅を終えた。(下薗昌記記者)
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