■日本食フロンティア食の移住史≠U)−やきそば−1−東洋市、普及に貢献−中国人「炒麺」の名使わず
5月21日(火)
ブラジルの〃やきそば〃は中華風なのに、日本語の呼称で定着している。日系人がサンパウロ近郊のフェイラや日系団体の催しでよく販売することもあり、日本食と考える人もいる。ブラジルのやきそばの起源に迫ると、最初に中国人は見逃せない。
何禮増(ホー・トニ)さんはブラジル在住歴三十五年、中華料理にも精通している。何さんによると、やきそばが普及したきっかけは一九七五年、リベルダーデ広場に開設された東洋市(日曜市)に逆上る。中国人がフェイラでやきそばとてんぷらの販売を始めた。
中華料理は当時、非日系人の間で評判が思わしくなかった。中国人は日系、非日系を問わず客に迎え、商売を繁盛させたかったため、商品名を中国名〃炒麺(ツァオメン)〃とせず、〃やきそば〃で通した。中国人はあくまでも売ることが一番の目的で、名前にこだわらなかった。
やきそばは老若男女を問わず評判を呼び、日系人も真似て各所で売り出すようになった。水本すみ子エスペランサ婦人会名誉会長は、「やきそばは特に二、三世や非日系人が好む。今は各地の催しで、多くの人に好まれる食事を提供するため、やきそばは絶対に欠かせない」と評価する。
二世の貞野キチジさん(三五)は台湾人から各種メニューを学び八五年、マトグロッソ州ロンドノポリス市に中華料理店『chinatown』をオープンした。町に一軒の中華料理店は評判が良く、最近では州内のレストラン調査で〃おいしい中華店〃として、上位に位置付けられた。やきそばはやはりレストランで人気メニューの一つという。兄弟に経営を任せ、現在出稼ぎ中の貞野さんは、日本でも日常食にやききそばを作る。日本人の友達が来た時はブラジルのやきそばとバナナのてんぷらでよくもなしている。
何さんは「邦字新聞も〃炒麺〃を〃やきそば〃の名で定着させ、日本食と錯覚させるくらいに影響を与えた」と説明した。
邦字紙は東洋市開設当時、珍しさから大体的にやきそばを紙面に取り上げた。邦字紙が〃やきそば〃を記事にすることで、中国の炒麺が日本発祥であるような印象を読者に与えた。日系人がフェイラを始めれば、宣伝効果もねらって話題になった。中国人は自ら宣伝することなく、他国のコロニアがどう報道しても気にせず、黙々と仕事に専念した。
邦字紙の〃やきそば情報〃は紙面を読んだ一世や各催しのフェイラで二世、三世にも伝えられ、日系人に親しまれる一品として今日まで至っている。
ブラジルの地方ではまだ馴染みの薄いやきそば。今後どのように国内で普及するか、様々な予想ができる。
(つづく、庄司智子記者)
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