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■再浮上する日伯学園構想――第四部 日本と国際学校−(3)−日墨学院@−独系のような学校を=|駐在員と共に周到に準備

3月27日(水)

 日本メキシコ学院のユニークな点は、日本人学校と日本語学校が合併してできていることだろう。つまり進出企業と日系社会が大同団結して、資金と人材を集め、一九七七年、日系としては世界一先進的な国際学校を作った。
 日本メキシコ学院創立者の一人、中屋敷正人さん(当時、ジェトロのメキシコ所長)は『日本メキシコ学院十年の歩み』(毎日新聞社刊、以下『十年史』と略)の中で、三つの大きなステップを経て、日墨学院構想は実現されたとしている。
 その一は、過密状態であった日本人学校の移転問題。日本人学校理事長でもあった中屋敷さんは、六八年に四十四人の児童数だったものが、七四年には百四十八人とパンク状態であったと記す。それを解消する道の一つとして、日墨学院構想は始まった。
 その二は、オール日本構想が生まれたこと。当時メキシコ市内に三カ所あったコロニアの日本語学校を合併して、総合学園≠ノしようという動きはすでにあった。が、コロニアは内紛を繰り返すばかりで完全に硬直状態にあった。
 そこで、日本人学校移転を機に、駐在員、コロニア共同の学校にしようという発想が生まれた。
 その三は、「国際的目覚めのステップ」だ。
 中屋敷さんは、ドイツ校を見学したことで大いに感化されたことを記している。「目からうろこが落ちるとはこのことを言うのでしょうか。ドイツ系学校のありようにすっかり洗脳された私は早速、日本メキシコ商工会議所の有志に図り、有志が手分けして外国系学校の調査を実施することになりました」。
 メキシコ教育界には、一八九四年に開校したドイツ学校を筆頭に、仏墨学院(一九三七年)、ユダヤ系校(一九二四年)、クイーンエリザベス校(英・一九五九年)、オランダ校(一九七三年)などの外国系学校がすでにあった。
 その調査を通して、「この欧米諸国の海外学校のあり方は、現地への貢献や文化交流が単にお義理や金ですまされるものでなく、知恵を出し、汗を出し、ともに学び、ともに鍛え合ってこそできるものだということを教えてくれるが、それを何の気負いもなく、しごく当然のこととして行っている姿は、きわめて教訓的である」と感じた。
 「このように学院構想は、過密からの脱出という動機から始まって、日本連合を経て、欧米諸国並みのことはしなければという意識の目覚めにいたる」という流れであった。
 中屋敷さんがジェトロの会議室で始めた建設委員会は、当時の伊藤忠商事の小林勇一支店長(日墨学院初代理事長)、三菱商事の林正治支店長、日商岩井の森田和夫支店長を巻き込みながら、日墨協会の理事室などに移り、二世有志の春日カルロスさん、山崎ペニートさん、平田ロベルトさんらも加わった。
 そこで構想実現への問題とされたのは次の四点。(1)コロニアの進出企業側への不信感。(2)派閥の強いコロニア(特に一世)をいかにして学院建設に大同団結してもらうか。(3)約十億円の建設費をどう集めるか。(4)学院を統轄運営する事務局長の人選、であった。
 (1)は進出企業側が再三、日本語学校を訪問して日墨学院の趣旨を説明し、雰囲気を好転させた。
 (2)に関しては結果的に、「二世有志に商社側が協力するという形で推進し、計画がまとまりかけた時点で一世には参加してもらった」(『十年史』小林勇一さん)という作戦で乗り切った。
 (3)の資金問題は、進出企業百六十万ドル、コロニア五十万ドル、日本人学校の売却費十二万ドルの計二百二十二万ドルに対して、日本政府には百万ドル(当時、約三億円)の補助金を申請した。
 七四年九月に田中元総理が百万ドルの手土産と共に来墨し、エチェベリア大統領(当時)と会見し、日本メキシコ学院の早期開設を支援する共同声明を表明した。
 コロニアの寄付第一号は当時の日系社会代表者であった松本三四郎さんで、その百万ペソという大金を呼び水に「それなら私も」と続々と寄せられたそう。
 (4)の事務局長には、「エリート意識の強い日本企業の代表を押さえ込み、コロニアに一目置かせ、メキシコ官庁とスペイン語で交渉できる人物」(『十年史』)が求められ、最終的に日本商工会議所で事務局長をしていた加藤平治さんが就任した。
 七四年三月頃から建設構想がスタートし、七五年四月に土地登記完了、七六年四月から建設開始し、途中メキシコ経済危機によるペソ大暴落をはさみながら、七七年九月に開校にこぎ付けた。
 日墨学院建設には、各界からやる気溢れる有志が集まり、周到な計画と充分な根回しが行われた。
 先の橋本首相(当時)来伯時、山内文協会長の日伯学園構想に欠けていたものは、それだったのだろう。
(深沢正雪記者)


再浮上する日伯学園構想−第1部 日伯学園をめぐる戦後移民史

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