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■再浮上する日伯学園構想(10)−第一部 日伯学園をめぐる戦後移民史−橋本首相、迅速な対応−文協のリーダーシップに問題

1月29日(火)

 橋本首相は九六年八月二十六日にブラジリアで、カルドーゾ大統領と会談した際、日伯学園構想に対して、ブラジル政府の協力を取り付けるなど、異例の迅速な対応を見せた。
 ところが、文協側の事業推進は遅々として進まなかった。翌九七年一月に討論会を開催したが、それまで具体的な構想内容が公開されていなかったため、「計画を見せて欲しい」という声が相次いだ。
 同年八月には、文協がフランシスカ・テレジーニャ・セヴェーロ大学教授ら教育専門家に依頼して調査・作成した『日伯学園構想素案』も完成したが、やはり公開されなかった。
 日本側からは「建物にかかる費用は援助するが、土地・運営費は現地持ち」という条件が提示されていた。
 山内会長は州政府や市役所に無償土地提供を積極的に依頼し、候補地をいくつも見て回った。でも「彼が望んでいたような、市中心部から五〜十キロ以内で、地下鉄駅の近くにある一万平米の土地は見つからなかった」(岩崎秀雄・現会長)状態のまま、いたずらに時間ばかりが過ぎてしまった。
 結局、九八年の移民九十年祭までに土地取得に必要な資金も集まらず、着工できなかった。
 候補地選びの中で、カンポリンポ日本人学校が候補地として内密に挙げられたこともあったが、「山内会長のお気に召さなかった」(領事館関係者)ようだった。
 文協の現・日伯学園検討委員会の中村和右委員長は「おそらく山内会長は、援協の日伯病院の二の舞になることを恐れて、日本人学校の件を断ったのでは」と推測する。日系社会からの寄付を集めて建設されたものの、地理的不便さから、利用者の大半が周辺の非日系人である同病院の現状に例える。
 九八年、橋本首相来伯から二年近くたって、ようやく日伯学園検討委員会(高田フェルナンド委員長)が発足した。日系社会の幅広い意見を集めるための懇談会が、九月から十一月までの間、十二回に渡って集中開催された。
 人文研、県連、援協、各日本人学校、日語普及センター、留学生研修生OB会、文協青年部など、各回ごとに様々な団体幹部が呼ばれ、率直な意見を述べている。
 それまで一般に公開されていなかった『日伯学園構想素案』も懇談会で配布されたが、それをベースに具体像を討論するのではなく、「この学校問題は、私はゼロから始めなければならないと思います」(第三回懇談会での委員長発言)という、より基本的な理念を語り合う場となった。
 第一回で、脇坂勝則・人文研理事長(当時)は「世間は、山内会長が個人的にやる学校だと思っています」とコロニア世論を代弁した。
 同じく宮尾進所長も「最初から、今日配られたような計画書を見せて、協力を頼むべきであった」とし、「どうしたら良い学校ができるかということを、準備委員会を作って、みんなで検討すべきです。この二年間黙ってきて、今さら何を言うのかというのがコロニアの意見です」と批判している。
 第四回の席上、網野弥太郎県連会長(当時)は「なぜ(日伯学園を)必要としているのか、見えてこない。橋本総理に出した要望書を我々にも読ませてもらい、それから検討に入ってはどうですか」と提案している。
 これらの発言から読み取れるのは、当時の文協のリーダーシップのあり方に問題があった、ということではないだろうか。文協は構想案を説明することなく、日本と交渉を進め、日系社会は蚊帳の外・・・。そんな図式を指摘する識者が多いことを報告書は示している。
 高田委員長もこの後、文協理事を辞職した。ある文協職員は「山内会長はまず土地を見つけて、それに合わせた学校、という考え方で、それが高田さんと会わなかったようです」と指摘する。
 また「コロニア全体の問題として、幅広く検討する高田委員長の姿勢と、文協中心を貫きたい山内会長との間に意見の相違があったようだ」(岩崎会長)という声もある。
 日系社会全体のコンセンサス以前に、文協内部の合意の問題も大きかったようだ。
 文協役員の話では「当時は史料館を拡充したい人たちと、日伯学園派に分かれてしまっていた」という。結局、史料館の改装・増築には二億円が注がれ、日伯学園構想は再び宙吊りになった。そして、九九年の山内会長退任と共に事実上、同構想は仕切りなおしになったことは記憶に新しい。
 サンパウロ総領事館の話では「昨年(二〇〇〇年)の文協理事会で『事実上廃案とすることになった。今後は別の観点から考えて、可能性を探る検討は続けていく』という結論が出たと聞いています」という状態だった。
 時の総理まで動かしておきながら、文協内部で合意が得られない。図式としては、まるで七〇年代前半を彷彿(ほうふつ)とさせる一コマではないだろうか。
(深沢正雪記者)


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