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■再浮上する日伯学園構想(8)−第一部 日伯学園をめぐる戦後移民史−日文連、単独設立へ−園児集まらず、2年後閉鎖

1月24日(木)

 八一年四月、日文連は総会で二世理事を強化する形で役員陣を刷新し、学院構想を積極的に推進する体制をしいた。
 翌八二年九月、単独で学院を創立することを発表し、幼稚部六十人の初募集に取りかかった。正式名称は同連盟の初代会長にちなんでコレジオ・ギリェルメ・デ・アルメイダ。仮の校舎として高級住宅街のアベニーダ・ブラジル五二五番の屋敷を賃貸契約の上、改装した。
 同年九月十六日付日伯毎日新聞によれば、「八六年から九四年にかけて、小学部、中学部、高校部と増設していき、九四年の最終段階では、日伯学院は八百十人の生徒を擁する学校になっているという」とある。単独経営ということで、大幅に規模縮小した体制からの船出であった。
 しかし、翌八三年、実際に幼稚部に入学したのは十余人・・・。目標の四分の一程度しか集まらなかった。
 一千人の日本語講座の生徒を抱える日文連が、十余人の子供しか集められなかったのはなぜか。
 八四年二月には伯字紙フォーリャ・デ・サンパウロにも広告を出したが、それでも目標には遠く及ばなかった。日文連は三年目も大幅な赤字が続くことが分かった時点で、この事業から撤退することを決議した。
 「この間の経費はすべて持ち出しだった。アリアンサはドンキホーテでした」と当時の役員は回想する。
 「コロニアから冷観されていた。どこからも積極的に応援しようという感じはなかった。まるで対岸の火事のように」と当時のコロニア世論を評する。
 日本語学習熱がピークを迎え、戦後移民の子供が学齢期にあったにも関わらず、その大半は日伯学院を選ばなかった。
 その頃すでに、日系子弟は優秀な公立校、もしくは有名私学に通い、USP(サンパウロ州立大学)などの最高学府に入学する筋道が定着していたことも、集まらなかった一因かもしれない。
 二木秀人さん(元大正小学校教師)が七八年五月に行った調査では、すでにUSPの全学部平均で日系学生は一五%を占めており、学部によっては三〇%にも達していた。
 また、サンパウロ人文研研究員の森幸一さんは「戦後移住者は基本的に永住志向が強い」と指摘する。
 つまり、戻らない日本でしか使えない日本語より、現実に役立つポルトガル語を子弟に習わせる傾向があったという。
 「一般論として、県人会や文協も同じ問題を抱えている」とする。
 「りっぱな会館を作っても、肝心の二世たちが集まってこない。それは二世が欲しいものを作っているのでなく、一世がよかれと思うものを作っているから。市場を無視して商品を生産・販売しても、売れないのと同じ。使う人が欲しいものを作らなくては、利用してもらえない。当時のアリアンサもそうであった可能性がある」と分析する。
 戦前移民は敗戦により錦衣帰郷から永住志向へ転換、戦前二世は勝ち負け抗争を引きずったナショナリズム・コンプレックス、戦後移民は最初から永住志向でポ語教育優先・・・。森研究員がいう"市場"である親がこれなら、誰が子供を日伯学院に入れるのだろう。
 現在の文協副会長・志村豊弘さん(二世)も「うちの息子も仕事で使うからスペイン語も英語もできるが、日本語は勉強したがらない。日伯学園を作るときには、慎重に父兄の意識調査をする必要がある」と訴える。
 このように学齢期の子供を持つ親が、二世どころか三世・四世と推測される現在、誰が日伯学園に子供を入れたがるのか。どんな学校なら入れるのか。アリアンサの経験に学ぶことは重要だろう。
 一方、日文連の提案を蹴った文協のスポーツ・センター構想も、残念ながら実現されなかった。相場会長自身が提供した十万平米の土地が唯一の資金源であり、用地も予算案も白紙状態のまま次期会長に委任されることになった。
 その後の経緯を『文協四十年史』では「経済状態の悪化から八三年度は継続事業の強化のみにとどまり、援協の病院建設問題との関連もあって、スポーツ・センター建設についての進展はみられなかった」と説明している。
 八一年時点の新聞紙上で、岡本日文連会長は学院建設は「むしろ遅すぎます」と発言し、このような予言をしている。「(将来への危惧は)このままだと日系子孫は日本のすぐれた文化も受け継がぬ日本語を知らない、目の色が違うブラジル人になってしまうことです。移民としての、ブラジル社会に対する貢献も急速に薄れてゆくでしょう」。
(深沢正雪記者)


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