■それぞれの果てに−終−サンパウロで再会−高校同窓生3人は同い年
11月29日(木)
三人は昭和四十二年生まれの高校の同窓生。日本から最果ての国ブラジルで今再び人生を交差させている。「二人ならば偶然で済む。でも三人だからね。くされ縁かな」。日本経済新聞社サンパウロ支局長、窪田淳さんは笑う。〃援軍〃としてワシントンにしばらく駐在していた疲れも、気の置けない仲間との再会でほっと一息の様子だ。
折しも、官民合同会議でサンパウロに出張してきていたブラジル大使館の一等書記官で経済を担当する、深瀬聡之さんと思い出話で盛り上がる。恩師のその後。課外授業で行った東京見学のときのこと。クラブ活動。「お前が生物部に在籍して、ブラックバスによくえさをやっていたのを覚えているよ」と窪田さんが言えば、深瀬さんは「君は軽音楽部だったね」と返す。二人は続けて「植木さんは何やってたの」と尋ねる。
ブラジル資生堂の代表、植木建裕さんは学年がひとつ上だ。「何もしてなかった。帰宅部。でも帰宅部なんて新聞には書かないでよ」。三十四歳トリオの顔は十八歳のあのころに戻っていた。
母校・県立横浜緑ヶ丘高校は外人墓地や港の見える丘公園の近くにある。そのハイカラなイメージに当時、他校の女学生からは「ハマの学習院」と呼ばれていたという。校風はいたって自由。「大学みたいな感じだった」と窪田さんは振り返る。学園紛争時代の左翼的な名残りがまだ漂い、黒いジーンズに赤いシャツを着ていても、上に学生服を羽織っていれば文句は言われなかった。
卒業後はみんな上京。窪田さんは慶大、深瀬さんは東大、植木さんは中大へと進学し、その後、三人が顔を合わせることはブラジルに来るまでなかった。
それでも偶然を超える再会に話題は尽きない。職業的には一見ばらばらに見えるが、共にブラジル経済の動向に深く関わっている。同窓生のよしみで、情報交換もスムーズだ。
そんな三人は今ある計画を密かに立てている。「ベレンで同窓会を開こう」。先輩移民が経営する日本食レストラン「出雲」で近い将来、〃くされ縁〃に乾杯する予定だ。
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